白隱禪師坐禪和讚 

東工業

2017年03月27日 07:53

沼津の誉れ白隠禅師

水の中でのどが渇いたと叫ぶように
まだ足らぬ、まだ足らぬと無間地獄に落ちていないだろうか?
求めるのではなく、与えることこそ幸せに道であることに気が付かないと
幸せを手に入れられない
「足るを知る」
わが社の経営理念の冒頭に
「常に感謝の心をもち」とあります
感謝こそ幸せの源泉です
メーテルリンクの青い鳥
幸せは私たちの心の中にある 

白隱禪師坐禪和讚
衆生(しゆじやう)本來佛なり
水と氷のごとくにて
水をはなれて氷なく
衆生の外に佛なし
衆生近きを不知(しらず)して
遠く求(もとむ)るはかなさよ
譬(たとへ)ば水の中に居て
渇(かつ)を叫(さけぶ)がごとくなり
長者の家の子となりて
貧里に迷ふに異ならず
六趣輪廻(ろくしゆりんね)の因縁は
己(おのれ)が愚痴の闇路なり
闇路にやみぢを踏(ふみ)そへて
いつか生死(しやうじ)をはなるべき
夫(そ)れ摩訶衍(まかえん)の禪定(ぜんじやう)は
稱歎(しようたん)するに餘(あま)りあり
布施や持戒の諸波羅蜜(しよはらみつ)
念佛懺悔修行等(とう)
其(その)品多き諸善行(しよぜんぎやう)
皆この中(うち)に歸するなり
一座の功をなす人も
積(つみ)し無量の罪ほろぶ
惡趣いづくにありぬべき
淨土即ち遠からず
辱(かたじけな)くも此の法(のり)を
一たび耳にふるる時
さんたん隨喜(ずゐき)する人は
福を得(う)る事限りなし
いはんや自(みづか)ら回向して
直(ぢき)に自性(じしやう)を證すれば
自性即ち無性(むしやう)にて
すでに戯論(けろん)を離れたり
因果一如(いちによ)の門ひらけ
無二無三の道直(なほ)し
無相(むさう)の相(さう)を相として
行(ゆく)も歸るも餘所(よそ)ならず
無念の念を念として
謠(うた)ふも舞ふも法(のり)の聲
三昧(ざんまい)無碍(むげ)の空ひろく
四智(しち)圓明(ゑんみやう)の月さえん
此時何をか求むべき
寂滅(じやくめつ)現前するゆへに
當所即ち蓮華國(れんげこく)
此身(このみ)即ち佛なり
 

関連記事